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東京高等裁判所 昭和59年(ネ)2069号 判決

控訴人 甲野竹子

〈ほか一名〉

右両名訴訟代理人弁護士 加藤隆三

被控訴人 甲野太郎

〈ほか二名〉

右三名訴訟代理人弁護士 森勇

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取消す。昭和五五年四月七日埼玉県上尾市長に対する届出によりなされた亡甲野松太郎、被控訴人甲野マツと被控訴人甲野太郎、同甲野花子との間の養子縁組は無効であることを確認する。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は主文同旨の判決を求めた。

当事者双方の主張並びに証拠関係は、以下に付加し、控訴代理人において甲第一六号証を提出し、被控訴代理人において同号証の成立は不知と述べたほか、原判決事実摘示と同一であるからここにこれを引用する。

(被控訴人の当審における主張)

一  仮に、本件養子縁組当時亡甲野松太郎がその意思を表示できなかったとしても、民法七九六条によりその養子縁組は有効に成立する。

すなわち、同法条によれば、夫婦の一方が養子縁組の意思を表示することができないときは、他の一方は、双方の名義で縁組できるものであるところ、本件において、亡松太郎の妻である被控訴人マツは、松太郎の署名押印を代行して、松太郎、マツを養親とし、被控訴人太郎、同花子を養子とする縁組をなしたものであるから、亡松太郎が表意不能者であったとしても右養子縁組は有効に成立しているのである。

二  控訴人らは、亡松太郎に縁組意思の積極的不存在が推測されるとして民法七九六条の適用を否定するが、本件縁組のなされた当時、亡松太郎に縁組意思の積極的不存在を推測させる事情は全くない。

控訴人らは、亡松太郎を意思無能力者だと主張しながら、縁組当時の縁組意思の有無を推測し、これを論ずるのは、矛盾するものである。意思無能力者の意思を推測することはできるわけがない。

(控訴人の当審における主張)

一 民法七九六条は、夫婦の一方が一時的な精神障害のあるとき、或いは縁組意思の積極的不存在などの場合は適用されるべきではないのである。そして、本件において表意不能者である亡松太郎には縁組意思の積極的不存在が推測されるのであるから同条の適用はなされるべきではない。

二 仮に、亡松太郎が本件縁組成立時に縁組についての意思能力を有していたとしても、すでに述べたとおり、亡松太郎は右縁組につきその意思を欠いていたものであって無効である。

理由

一  本件養子縁組及びその届出は、当裁判所もこれを当事者間の合意に基づき瑕疵なくなされた有効なものと判断するものであり、その理由は、次のとおり付加訂正するほかは原判決理由中、同三枚目裏三行目から六枚目表六行目までの記載と同じであるからここにこれを引用する。

1  原判決四枚目表四行目の「同月二三日」の次に「(同日軽快退院)」を、同六行目の「同年一二月一一日」の次に「(同日軽快退院)」を、同八~九行目の「同病院に入院し、」の次に「同年六月二五日軽快退院するまで」をそれぞれ付加する。

2  同四枚目表一〇行目の「運動性の構音障害」とあるを「構音障害による言語障害のあること」に改める。

3  同六枚目表二行目の「証人加藤隆三の証言および」を削除し、同三行目の「採用できず、」の次に「証人加藤隆三の証言も右認定を覆えすに足りず、この他に」を加える。

二  ところで、被告人らは、本件養子縁組及びその届出がなされた当時、故松太郎には脳動脈硬化症に伴う精神障害があったと主張し、鑑定書によれば、右主張に沿う記載がある。

しかしながら、当裁判所は、控訴人らの右主張は以下のとおり失当と判断するものである。

右鑑定書の記載によれば、亡松太郎は生前約七年間にわたり屡々脳硬塞の発作を起したことをとらえ、同人に応汎な器質的損傷が脳に存在していたと推測するのが合理的であるとし、右損傷による正常な高度精神機能の十分な発揮がかなりの程度阻害されていたであろうと推測されると述べている。

しかし、養子縁組をなすについて求められる意思能力ないし精神機能の程度は、格別高度な内容である必要はなく、親子という親族関係を人為的に設定することの意義を極く常識的に理解しうる程度であれば足りるのであって、《証拠省略》によれば、亡松太郎が本件縁組当時右の程度の意思能力を有していたことは十分これを認めるに足りるのである。

さらに、右鑑定書によれば、「臨床的な意識清明は決して知能の十分な活動、十分な思考力、判断力などの、即ち高度の脳機能と精神機能の存在の証明とはなり得ないのである。」ともいう。

なるほど、証人佐藤任宏の証言には、本件養子縁組がなされた当時、亡松太郎の意識が清明であったことを以て知能活動があり、そして前記のような意思能力があったとする趣旨に解されなくもない供述がある。しかし、同証人の評言に併せ、前記乙第一一号証(病床日誌)を子細に検討するならば、同証人は、双愛病院に入院中であった亡松太郎の意識清明であった点だけをとらえて知能活動があったと述べているわけではないことを理解しうるのである。

すなわち、同号証の記載によれば、亡松太郎は、前記認定のとおり、構音障害による音語障害があったとはいうものの、同人は、入院中終始付添っていた妻マツとの間はもとより、巡回の看護婦らとの間に、口数は多くはなかったが、常々、自己の体調について具体的に報告し、時には医療上の希望を述べ、喜怒哀楽の感情をかなり豊かに表現していること、気分や体調の良好のときは好物の大福もちや草もち等をとり寄せて食する程の食欲があり、退院近くなったころには、約三〇分位ベッド上で半身を挙げ、或いはリハビリテーションに積極的に取り組んでいたこと(なお、《証拠省略》によれば、入院中亡松太郎は新聞を継続購読していたことが認められる。)等の事実が認められるのであり、これらの事実からみても亡松太郎は入院中、病苦に伴う精神状態の不安定ないし精神機能の水準低下は避けえなかったにせよ、なお、通常の精神活動をなしうる能力は保持していたことが窺われるのであり、前記鑑定書がいうように、亡松太郎に痴呆状態を推測させるような徴候は、なんら見出しがたいといわざるをえないのである。よって、右鑑定書の結論は採用することができない。

なお、本件縁組のなされた当時、亡松太郎に縁組意思の積極的不存在を推測させる事情も見当らない。

三  以上の次第で、本件養子縁組が無効であることの確認を求める控訴人らの本訴請求は理由がなく、これを棄却した原判決は相当であって、本件控訴は理由がないからこれを棄却すべきものである。

よって控訴費用の負担について民訴法九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 横山長 裁判官 山下薫 裁判官浅野正樹は転官につき署名捺印することができない。裁判長裁判官 横山長)

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